私はまだ世界を知らなさすぎる

神戸の女子大生がとにかくなんかいろいろやってみるお話。

なんでルワンダなん?

書きます。 ( 笑 )

 

正直留学といえばアメリカとかイギリス、カナダとかがメジャー。なんでわざわざ高い航空券代と予防接種代をかけてアフリカのルワンダに留学するのか。まとまってないかもしれないけど書きます。留学中にしんどくなった時にでも初心に帰れるように。ルワンダを選ぶに至ったきっかけはいくつかあります。

 

カンボジアスタディツアー

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このブログでも少し語ったと思うし、私の友達は知ってるだろうけど。

私は高校2年から3年にかけての春休み、1週間カンボジアに行っていました。もともと発展途上国の貧困問題とか、戦争の問題とか社会問題に広く興味があって参加しました。

っていうのは理由ではあるとはいえ全てではありませんでした。

 

実際は、第一志望の神戸市外大の推薦入試で話すネタにでもなるだろう。と本当に本当に不純な動機が最初に言った動機より上回っていたと思います。「それっぽい」ことを書くことが得意な私は普通に選考もパスしました。(というか全員通った)

 

ただ、行ってみたら全てを変えられてしまいました。

 

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「精神的な豊かさ」「物質的な豊かさ」国際ボランティアがポピュラーになってきた中でよく聞くこのフレーズは渡航前高校2年生の私は知っていました。けど。いかに実際に「見る」ことが意味をなしていたか。

 

笑顔で校庭を走り回る子供たち、快活な市場のおばちゃん、笑顔が素敵なトゥクトゥクドライバーのおっちゃん…etc

でもそのしあわせの影に映る貧困問題。とくにはっきりおぼえているのは市場で朝からみんなで楽しそうにご飯を食べているけれど、その市場の端っこ、本当に真っ暗で誰も気づかないところにホームレスと思われるおじいちゃんがひとり座っていたこと。

 

「社会から取り残される」

 

なんだかこの言葉がよぎりました。その時に私はみんなが見過ごすようなところにしっかり目をつけていきたいと強く思うようになりました。SDGsがポピュラーになったのはそのあと大学に入ってからで「誰も取り残さない」っていうミッションがずっと当たり前のように頭の中に残り続けたのは大学入学後のことです。

 

カンボジアに話を戻します。

 

そんないろんないい部分と疑問を感じる部分とをカンボジアで見た中で一番印象に残ったのはカンボジア内戦、ジェノサイドのことでした。

カンボジアスタディツアーの終わりあたりに、ジェノサイドの負の遺産を巡り、今も残るジェノサイドの影響、地雷についての話を聞いたり地雷原を歩いたりしました。

 

息が詰まりそうでした。

この場で大量の人間が殺された。

医者だから、先生だから、美人だから、眼鏡をかけているから、手が綺麗だから…

そんな話がリアルであったことがショックすぎて。

 

そして地雷原を歩いて一歩踏み外せば地雷の危険がある状態に置かれた時の恐怖、地雷によって実際に被害を受けられた方。

貧困とジェノサイドと地雷。

強く印象に残りました。

 

日本に帰ってあーでもないこーでもないと自分がカンボジアで見たものをゆっくり消化しているうちに高校3年生になり受験まっしぐら。

推薦入試の準備をしている間に自分の中でやっと気持ちと考えが整理されました。

 

やっぱり色んな問題ってそれぞれがそれぞれの要因になっていて、複雑なぶん「自分」の関わり方がある。答えは一つでは無い。と。

それで貧困と平和っていうテーマをいろいろと考えていた中で、当時の私には割と見過ごされているように見えた「平和」という分野に興味を持ち始めました。割と紛争解決的な分野で。

 

それともうひとつ、大きい理由があります。

 

ポルポトも同じ人間やで」

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カンボジアスタディツアー中の話し合いで引率の先生が仰った言葉でした。

ポルポトとはカンボジアでジェノサイドがあった当時の指導者です。「原始共産制」、つまりはすべての人が「完全に」「平等な」社会を目指したいわゆる独裁者でした。彼の政権下では大人たちが沢山殺されて行きました。

 

彼の政権下でジェノサイドが行われたと言うことで世界、そして歴史では彼は完全なる「極悪人」として扱われています。私もカンボジアについて勉強した時、そう思っていました。

 

たぶんジェノサイドミュージアムかキリングフィールドかに行った日の晩にあった話し合いで

「あんな酷いことをできるなんて信じられない」「誰か止める人はいなかったのか」

なんかそんな感じのことを話した記憶があります。みんな目の前に広がる光景にただただショックを受けて、沢山の感想が出ました。

 

その時に

「確かにポルポトがしたことは許されるべきことではない。けど、みんなポルポトと自分自身をあまりに切り離して考えてない?ポルポトも、わからないけど最初は平等な社会を作ろうとしたのかもしれない。ポルポトも同じ人間なんやで」

と引率の先生が仰いました。

 

その言葉がすごく刺さって残り続けました。

留学を考えて、留学したい大学を見つけて、特にマダガスカルの某留学中に色々考えてた時その言葉は再び私の心の中に強いものとなり現れました。

国際紛争、国内紛争、いじめ…ありとあらゆるそういったものにはだいたい「加害者」「被害者」がいて。「加害者にも理由はあった」としてその本人の加害行為を認めたりするわけでは決して無いけど、加害者と呼ばれる人もある種どこかで被害者なんじゃないかなとか、共感が得られにくい「加害者」にも目を向けることで世の中の紛争とか、いじめとか、無くしていけるきっかけになるんじゃないかな、とか。

 

私はそれから「人間」という複雑な意思を持った生命体について興味を持つようになりました。

 

ルワンダカンボジアとは違えど過去にジェノサイドがあったっていう辛い歴史を抱えています。昨日まで「お隣さん」だった人が突然敵同士になると言うことがありました。今はルワンダはアフリカのシンガポールと言われるほど経済発展が進んだ国です。でもそのような歴史を持つ国だからこそ私が興味のある分野を学ぶのにいいのかな、って。難しい分野だし、アンタッチャブルなところも実際色々あるとは思うんだけどルワンダではゆっくり勉強したいなと思いました。平和について。人間について

 

ざっくりと、ルワンダに行きたい深い理由はこんな感じ。すごく重たくなっちゃったから最後1つ、明るい話題で。

 

ルワンダに行きたい理由、それは

 

ただシンプルにアフリカという土地が好きだから

 

これはマダガスカルに行って確信しました。ルワンダともちろん文化も何も違うとはいえ、同じアフリカ。とても明るくてゆっくりしてる、かと思いきやたまに突拍子も無いことが起こる。そして「途上国」とか呼ばれようとも案外「先進国」と呼ばれる地域よりも進んでることもある。

 

踊ること歌うことが好きな人が多くて元気な人が割と多めな印象のあるアフリカ大陸。

そりゃもちろん紛争とか貧困とかが存在するのは事実なんだけど、でもなんかすごい引き込まれる魅力があるんですよね。なんでかは正直わからないけど。

 

だからルワンダ、1年挑戦します。

 

長々と2000字を超えるブログになりました。お疲れ様でした。( 笑 )

私の思いとかに対してはそりゃ賛否両論あると思いますが一個人の意見、「そんな考え方もあるんや」って感じで軽く受け止めていただければ幸いです。

それではまた!À bientôt!

 

*

追記

これを書いてから今日が9月11日であることに気がつきました。

同じようなことがもう2度と起きませんように。憎しみと憎しみがぶつかり合い続ける世界じゃなくなりますように。多様な価値観と多様な存在が認められる世界になりますように。

After finishing this article, I found today is “9.11” Memorial Day. I strongly hope this would never happen. I hope the world would no longer be a place covered with hatred. Rather, I hope the world will be a diverse place based on RESPECT to each other.