私はまだ世界を知らなさすぎる

神戸の女子大生がとにかくなんかいろいろやってみるお話。

最近行った旅行まとめ ①

Muraho!

ほんっとーサボり癖よくない。

書きたいことはいっぱいあるのに書いていませんでした。(笑)

 

2週間ほど授業のない期間があったので、いろいろなところに旅行してきました。

①Nyanza王宮博物館編 

②ニャマタ教会

③Kibuye編

本日はこの三本でお送りします♡

 

①Nyanza王宮博物館

もう2週間ぐらい前のことですが。

私が住んでいるフイエからバスでおよそ40分くらい行ったところにあるNyanzaという街の博物館に行ってきました。フイエからだとVolcanoかHorizonバスに乗ってね。

 

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まずは腹ごしらえ。HAJIという美味しいレストランでウブガリとブロシェットをいただきました。お腹いっぱい。ここでVOLCANOのバスの人と仲良くなります。でも名前忘れた。

 

そこからNyanzaのマーケットを通って目的地、王宮博物館へ。なんと。

 

1時間半

 

は歩いた気がします。脚が棒になりました。

この日ほど自分が中高の部活や運動や自転車通学で脚を鍛えておいてよかったと思った日はありません。(笑)

博物館のクオリティはなかなかすごかったです。

 

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1932年?だったっけな、に建てられた新しい王宮と、本当に昔からある王宮が展示されてある博物館でした。

 

なんと、古い方の博物館はもともと別の場所にあったらしいですが移動してきたそうです。観光のために。すごい。

新しい方の王宮に関しては写真撮影が不可だったので撮っていませんがもう一つの方は撮れたので少しお見せします。

 

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王様が住んでいた場所なのですが、用があるときetc...は女性は確か右側で男性は左側から入る決まりだったそうです。

 

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こういうでっかい牛もいました。

牛使いみたいなひとがいて、歌いながら牛をしつけていました。攻撃的にならないように、だそうです。

 

ざっくりとしていますがこんな感じ。

ちなみに、新しい方の王宮の博物館を見ている時にガイドさんが時々「ここにはこういうものがあったんだけどジェノサイドの時に持っていかれちゃった」って。なんかそれを聞いたときクメールルージュ政権下カンボジアアンコールワットの一部が破壊されていたことを思い出しました。確か金が隠されていると考えて、だったはず。うろ覚えだけれども。

 

争いというものは、大切な何にも変えがたい人の命を奪うと共に、同じように大切で後世に残していきたいような貴重な文化や歴史というものも失わせてしまうんだな、って思いました。

 

② ニャマタ教会

これが波乱の旅だった。(楽しかった)

ネット情報にはニャマタ教会に行くには

1:キガリ(首都、3時間ぐらいかかる)を経由

2:ニャンザを経由

とありました。

 

ニャンザは1時間弱で行けてしまうのでニャンザ経由で。

 

と思いきや。

 

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〜Nyanzaのバス停で〜

私達「ニャマタ教会ってどのバス乗ればいい?」

バスの人「とりあえずキガリ行って」

**************

 

ルワンダにはまさかのニャンザが2つあったんです…!!!衝撃。

結局キガリまで出てバスを乗り継ぎ乗り継ぎ到着しました。

 

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こーんなおっきいサモサが売ってました。

ゆで卵ふたつにお肉。500ルワンダフラン。

50円。ニャンザのバス停にて。これ帰りやけど。

 

ニャンザからニャマタまでの道のりは結構険しくバスの窓の隙間から砂がめちゃくちゃ入ってきてスマホが汚れて髪の毛がパッサパサになりました。(笑)

 

さて、前置きはいいんですこんなんで。

ニャマタ教会について。

実はニャマタ教会では写真を一枚も撮っていません。というより撮る気にもなれなかった。

 

ニャマタ教会って、一般的な大聖堂とかを観光するとか言うものじゃなくって。ジェノサイドのメモリアルとなっている場所です。

 

この教会では一晩で1万人を超える人たちが命を落としたそうです。

神に祈りを捧げる場所で。安全を求め逃げてきた場所で。

 

教会の中には亡くなった方々の服や持ち物が展示されてありました。

屋根には無数の銃弾の跡がありました。

地下には亡くなった方々の遺骨がありました。

そして亡くなった方々がそこで眠られていました。

 

案内してくれた方に「この階段を降りると亡くなられた方々の棺があるけどどうする?怖いなら行かなくてもいいし。」

って言われて。

 

一瞬すごく迷いました。

「怖い」「自分なんかが行ってもいいのか」

という気持ちと

「行ってみたい」

という気持ちと。

 

結局私達は階段を降りました。

ひんやりとした空気の中で花を添えられた棺が並べられていました。

1994年。25年前、確かにそこではたくさんの人の命が失われた。

 

私にはただただ天国で安らかに眠られていることを祈るしかできなかった。

 

このジェノサイドに限らず。「被害者」と大きくくくられることが多いけれどそこにはそれぞれの人生があり生活があった。

棺を前にひとりひとりの命に想いを馳せると涙が溢れでてきました。

 

そのあとはまたバスでの長旅。

バスに揺られながらゆっくりゆっくりみたものを自分の中に落とし込んでみて。言語化なんてできずに。

そして「平和な世界のため」に何ができる?なんて思い浮かぶわけもなく。

 

ただ。

 

自分自身はこうありたい、と。

多様性が認められつつも不寛容が渦巻いている今の社会において、少なくとも自分自身は他者に対するリスペクトを大切にしていきたい、と。そういうことをふと感じされられました。

 

そんな旅。

 

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えっとですね、なんやかんや書いてたら文字数がえげつなくなってきたので一旦ここで切ってキブイエ編は次回に回そうかと思います。(笑)

ということでではでは。