私はまだ世界を知らなさすぎる

神戸の女子大生がとにかくなんかいろいろやってみるお話。

和解の授業/ムランビ虐殺博物館

Muraho!

ついにクリスマス休暇も明け、授業が再開しました。

そんな私は課題のReadingに追われ、かつ風邪をひきました。

自分の免疫力をしばこうと思います。

 

ここ1週間授業を受けていたのですが、ひとつはグローバリゼーションと地方(開発途上国)の発展という授業、もう一つが和解の理論と実践という授業です。

今日はその和解の授業のことをちょーーっぴりお伝えできればな、と思います。

あと色々考えた結果、この記事だけは日本語オンリーで書こうと思います。

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一週間のうちの最初の方は和解における理論的な部分を勉強しました。

和解の4つの側面、についてだったり、クリスチャン的な考えの部分だったり。

 

そう、仏教徒の私には難しい話も多かったです。キリスト教における世界観を理解することが難しいということもありました。クラスメイトはほとんどがクリスチャンです。

すごいなと思ったのはみんな自分自身が信じているものをよく知っている、ということ。私は仏教徒といえどもいわゆる典型的な日本人で、信仰心もそんなになく、自分の家の仏教の宗派の名前しかしらない、という感じだから。私は仏教の教えも正直あまり知りません。

 

「和解」において大切なことは勿論幾つもあるのですが、まず一つ学んだことは「時間」ということ。確かにな、と。授業内での例で、日本の学校とかで喧嘩が起きたりするとすぐに解決しようとして、で最後に握手して「解決」と。そんなの本当に意味あるのか、と。そういえば思い返せばそんなことあったなあ・・・。形上で解決してるみたいにはなってるけど、お互いわだかまりは当然残ってる。ってこと。

 

とかいうことを色々と学ばせてもらっています。勿論あくまでこれは1%にしか過ぎないねんけど。学習したことの。

 

授業開始した週の土曜日には、ルワンダの虐殺について、ということでムランビ虐殺博物館にクラスメイトみんなで行きました。ついでのついでの情報、フリーで美味しいランチがついてきました。ラッキー。 

 

いずれはムランビにはいこうと思ったので、私にはとてもありがたいチャンスでした。

ムランビへ、日本人ブルンジ南スーダン人ドイツ人コンゴ人そしてルワンダ人と共に。

 

博物館自体は二つの構成に分けられていて、1つはジェノサイドの歴史を説明してくれるような展示室的な感じの場所。2つめは実際に亡くなられた方が埋められていた穴や、亡くなられた方の洋服や遺骨などを保存し、展示してある場所。という感じでした。

 

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ルワンダにいるはずなのに。ルワンダで起きたことを学びに来ているはずなのに。

私はなぜかかつて訪れたカンボジアのトゥールスレン刑務所を何度も何度も思い出していました。

トゥールスレンはかつて学校で、カンボジア内戦時においては収容所になっていた場所です。確かトゥールスレンにおいてのサバイバーは5人とかだった、ような記憶があります。曖昧なので気になる方はぜひ調べてみてください。

 

何故だかわからないけれど。たぶんそこに共通点を沢山見つけたからなのかなと。

前述のとおりトゥールスレンはかつて学校でした。そして今回訪れたムランビもかつては学校でした。収容所というわけではなかったんだけれど。

そしてトゥールスレンは街の中に立っていました。トゥールスレンの周りでは人々の生活が営まれていました。ムランビも。周りはルワンダのどことも変わらない丘に山にかこまれ、牛の声が聞こえ。また人々は周りで生活を営んでいます。

まるでそこで起こったことが嘘であったかのように。

 

そしてきっと何度も何度も思い出したのは自分自身が「平和」ということに興味を持ち始めたのがカンボジアに行ってからだった、からなのかもしれない。

 

人よりも感受性が強く涙もろい自信があったものの、どうしてか涙が出てこなかった。

なんかいつもそうな気がする。沖縄でも広島でもカンボジアでも心はきゅっと締め付けられるような思いにはなるけれど。「繰り返してはならない」という思いにはさせられるのだけれど。

 

訪問が終わった後に皆で感じたことをシェアする時間があったのですが、まるで言葉にはなりませんでした。ただ何かよくわからない、処理しきれない、言葉にならない思いが胸の中に残っていました。

 

バスに乗って大学に返りその後授業があった私は急いで教室へ。

ゆっくり余韻に浸り自分自身と会話する時間も取れないまま授業を受けていました。

そのあと次の日やそのあとにゆっくりゆっくり感じたことが処理されたような気もします。

 

そうやって見たものと感じたことを処理していくうちに、自分のきっかけとなったカンボジアの地で言われていたような…そんな言葉がありました。もう3年以上前のことなのでだいぶ脚色が入ってるだろうし、だいぶいろんな人の言葉とかが混ざっていると思います。

 

「悲惨であることも許されないことが起きたのも事実ではあるけれど私たちはあまりに自分自身と彼らを切り離してはいないか。私たちは同じ人間であり、自分だって加害者になることが絶対ないなんて言えるはずないのに」

 

確かカンボジアのメモリアルサイトを訪れた日の後のミーティングのことだったと思います。ポルポトやクメールルージュについてまるで彼らが悪魔かのようにみんな語った時だったと思います。

 

頭を打たれたかのような衝撃。そしてこの言葉は私をルワンダへと導くことになります。

 

ああ 和解をしようとするのも 傷つけ合うのも結局人間なんだなあと。

切り離して理解することの怖さを感じた気がします。自分が加害者と呼ばれる立場にならない確実な保証はどこにもない。

 

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じつはこの記事を書き始めたのはムランビに行ってすぐ。書き終えたのは和解の授業が終わってから。怠惰。

 

こんどきちんとムランビ以外のこともまとめようと思います。内容によっては英語も交えつつ。

 

ではではまた今度!